デキる人間になる前に!まずは成長することについて考えてみる――ていうWebライターの独り言

デキる人間になる前に!まずは成長することについて考えてみる――ていうWebライターの独り言

なんでもかんでも、悪いことが起こると他人のせいにしまくる人っていますよね?

皆さんは、心当たりはありませんか?

結果が芳しくないとき、人というものは何かしらの理由を付け足したくなるものなんですよね。

 

環境が悪かった!とか、

 

過程が悪かった!とか、

 

あの人が悪いんだ!とか。

 

ま、失敗を正当化できれば理由なんかなんだっていいわけです。

これを世間では言い訳といいますが、どんなに立派な言い訳をしても結果が変わるわけではありませんので、言い訳が多ければ多いほど、また狡猾であればあるほど、周りには見苦しく映ってしまうのです。

どんな理由があるにせよ、結果はすべて自分の責任です。

――と、少なくとも私は、ある時からそう自覚して生きてきました。



自己中な人ほど言い訳が多い

私たちは、必ず人とかかわり合いながら生きていかなければなりません。もちろん、仕事などで結果を出すまでの過程においても、何かしら人とかかわらざるを得ないものです。

例えばひとつのプロジェクトを遂行していく場合、そこにかかわってくるのはチームの人間ばかりではありません。取引先や顧客など、かかわる人数は膨大です。当然ながら、その中にはプロジェクトの足を引っ張ってしまうような存在もいるでしょう。

それは、要領の悪い同僚かもしれませんし、なかなか首を縦に振ってくれない顧客かもしれません。

いずれにしても、結果を他人のせいにしがちな人は、悪い結果が出てしまった際に、「あいつが足を引っ張ったから結果が伴わなかったんだ!」とか、「あの客が買ってくれなかったからこんな結果になったんだ!」という悪態をついてしまうのです。

自己中な人ほどそういう傾向が強いです。しかし、そんな言い訳は無駄なのです。結果が出なかったのなら、それは自分自身のどこかに落ち度があったからです。

同僚が足を引っ張ったことも、顧客が商品を買ってくれなかったことも、それは間接的なものでしかありません。

同僚をうまくサポートできなかった責任もありますし、顧客が欲しいと思えるようなアプローチができなかった責任だってあります。ましてや自分がリーダーであるなら直接的な責任は自分にあるのですから、「自分が未熟で結果が出ませんでした!」という一言で片づけてしまえばいいのです。

潔い態度を見せれば見せるほど、悪い結果の印象というのは薄れていきます。何か悪いことをして開き直っているわけではありませんので、そこは”堂々と反省”すればいいのです。

そこにこそ、「デキる人間の本質」があるのだと、私は思います。



心の未熟な人間と心が成熟した人間とでは大きな開きがある

良い結果が出れば自分の手柄、悪い結果が出れば他人のせい――それではダメなのに、そこに気付いていない人って意外と多いです。良い結果が出れば自分の手柄なら、悪い結果が出たときは自分の責任なのです。

すべてに責任を持ち、すべてを背負うことができてこそ、自分自身の成長があるのだと、営業出身の私は思うのです。

でもまあ……私はデキる人間ではありません。「デキない人間」だったからこそ、そこから色んなことを勉強できたわけです。

言い訳ばかり、何かのせいにしてばかり――という人がダメということじゃなくて、そんな心の醜さに気付けるかどうか、恥ずかしいと思えるかどうかが大事だと思うんです。

個人的にも、思い返すだけで恥ずかしいことなってたくさんあります。でも、その経験があったから、今はそういった醜くて見苦しくて子供のような思考に支配されることがなくなりました。

心の未熟さや成熟度っていうのは、残念ながら個人差がありますので、皆一様ではありません。己の心の醜さに早く気付ける人もいれば、いつまで経っても気付けない人もいますし、そもそも最初からそんな醜い心を持たない人もいます。

当然ながら前者に近いほど心が未熟で、後者に近いほど心が成熟していることになります。スピリチュアル的に言えば、未熟な魂と成熟度の高い魂とでも言いましょうか。いずれにしても、未熟な側と成熟度の高い側とでは、明らかに大きな開きがあります。

言い訳がましいと周囲には見苦しく映ってしまいますし、子供な印象を与えてしまうもの。昔からある「失敗は成功のもと」という言葉を、今一度深く心に刻み付けておきたいものですね。

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